南蔵王青少年旅行村~不忘山の旅
< これまでに友人を一番多く勝ち得た者のやり方をなぜ研究しないのだろうか?
それは誰だろう?
明日向こうからやってくる彼に出会うかもしれない。
3メートルほどの距離に近づいたら彼は尻尾を振り始めるだろう。
犬は愛情以外の何物も与えることなしに生活を成り立たせている唯一の動物である。
ディール・カーネギー >
不忘山の山頂は風が吹いていた。
山というのは風の通り道があるようだ。
わたしはちょうどそんな場所を歩いていた。
合羽のフードを頭にかぶり、帽子を飛ばされないように終始気を払わねばならなかった。
道のりはやや長いと感じた。
風がそう思わせたのだ。
やっとの思いで不忘の碑に差し掛かったのはまだ記憶に新しい。
わたしはやがて風に吹かれながら山頂に佇立していた。
このまま縦走を続けても面白くも何ともないだろう。
それが縦走を中断した理由であった。
あの日は山頂だけ風が強かったのだ。
不忘山~南蔵王縦走の旅
旅というものは面白い。
旅の記録を残すために画面に向き合っているわけだが、過ぎ去った過去の出来事を回想したところで何の役にも立たないのはこれまでの経験でも明らかだ。
未来と現在進行形に立脚してこそ面白いのだと思う。
2009年10月の中旬にわたしはその年最後の旅計画を実行した。
あの日、予期せぬ事態が待ち受けており、わたしはそれを受けてやった。
新幹線が遅れていたのである。
点検のため発車を遅らせたという趣旨のアナウンスが流れた。
こういう時に点検するなと、わたしはひとりごちた。
福島駅の新幹線ホームで20分以上も待ちわびる羽目になった。
あの日は交通機関の時間を調整するために珍しく新幹線を使った。
ただし福島~白石蔵王の僅かな区間だけである。
この区間を新幹線にすると乗り継ぎのバスがうまい具合に繋がる仕掛けになっていた。
列車時刻に遅れが生じて登山計画の全てが崩れ落ちたかに見えた。
しかし、偶然は準備しているものだけに訪れる。パスツールだってそう言っている。
白石蔵王駅からはミヤコーバスへの乗り継ぎ時間が30分ぐらいあったのでギリギリ間に合った。
わたしは運がいい。
ミヤコーバスは白石市内を走った。
小雨が降っていたのでわたしは半ば失望していた。
なんとか止まないもんかと、窓を見ていた。
バスは峠に差し掛かったころ奇跡的に日が差してきた。
やがて雨は止み、アスファルトが銀色に輝いていた。
いい感じの旅だ。
バスの中では本を読みたくても目が疲れるので車窓を見て楽しむ。
七ヶ宿という地名を通過し、わたしはそこでダムを見た。
バスのアナウンスは「ナナガシュク」と告げていた。
「シチガヤド」と読むとばかり思っていたが、現地を訪れて初めて分かることだ。
ミヤコーバスは終点の開発センターに到着した。
開発センターという福祉施設がバスの接続場所になっている。
ミヤコーバスと村営バスがほとんど同時に合流し、さらなる秘境へ行く物好きな乗客は村営バスに乗り込むことになる。
わたしが佇んでいると、村営バスから運転手のオバサンが降りてきて挨拶しにくる。
乗客はわたし一人だった。
どう見ても40は超えている風采であったのでここではオバサンと書くことにする。--オバチャンという感じでもない--
だいたい村営バスというのは税金で運営されており、採算が取れずに廃線か継続かを悩んでいるものだが、登山するものにとっては大変ありがたい存在だ。
そういう光と影があるのは仕方ないことなのだが、わたしは通りすがりの旅人という設定なので、光の部分を大いに楽しまなければならない。
この村営バスの運行がなければ南蔵王からの登山計画を立てることはできなかったし、村営バスに乗るのは旅の一部に君臨するのである。
わたしは村営バスのシートにうずくまり青少年旅行村のキャンプ場に予約の電話を入れた。
テントなら問題ないという答えが帰って来た。
テント泊とはいえ、やはり事前に電話するものらしい。
テントならいつでもOKだろうと鷹を括っていたが場合によってはそうでもない。
携帯の電源を切るのを確認してから運転手はエンジンをかけた。
運転手のオバサンはサービス精神旺盛であった。
運転と観光ガイドをほとんど同時にこなすのは見事であったが、採算が厳しい状況は言葉の節にはっきりと滲み出ていた。
運転手の話は続く。
不忘山はここから見るのが一番美しいという話。
不忘山の中腹にB29が墜落した話。
子供のころB29を目撃したという老人が現在も生きているという話。
不忘の碑に毎日お弁当を持って登ったおばあさんの話。
運転手は地元人間だが一度も登ったことがないという話。
旅行村と書いて、リョコウソンと読む。
あの運転手のオバサンがそう言ってたので、間違い、ない。
わたしはてっきりリョコウムラと読むのだとばかり思っていた。
現地に来なければ分からない。
村営バスは南蔵王青少年リョコウソンにわたしを降ろし、乗車賃200円を支払った。
蔵王に登るために何度も調査した場所だ。
わたしが知っていることは二つだけ。
テントが張れること、バス停があること。
したがって、こうやって初めて現地に降り立つとそれなりの感動は、ある。
わたしはしばらく動けなくなった。
建物に入っていくと中から声が飛んできた。
「さっきの方ですか?」
「はい」
「バス停でかけました?」
「はい」
出された用紙に記入してテント泊の予約を成立させた。(成立というほどのものではないが)
係りの人は親切に説明をしてくれた。
芝生がさっきの雨で濡れていたので、テントを張るときに少し躊躇した。
バス運転手の話ではさっきの雨は土砂降りだったと言っていたが、白石市内は小降りだった。
バンガロー小屋の中を見た。
「払って二千だな」
わたしはひとりごちた。
下見をする。
飲み水が出る炊事場は優れたキャンプ場の証である。
ちなみに、巻機山麓キャンプ場の炊事場は砂やゴミが混ざる。
午後3時で気温はやや肌寒い。
ベンチに座ってインスタント蕎麦を茹でながら黒糖パンを貪り食う。
松本清張の「事故」という小説を読む。
旅用に買い置きしていたヤツだ。
文体がしっかりしているという理由で読みたくなった本だが、今は時間がないのですっかり放置状態だ。
またいつか旅の日が来れば開くだろう。
時間はたっぷりあった。
本来なら長老湖に行くべきであった。
歩くには距離があるのと、間もなく夕方になるのと、少し肌寒いのが何となく行動を消極的にしていた。
夕方になるとバイクツーリングのグループがやってきて、ログハウスになにやら道具を運び出している。
わたしは翌朝の山に備えるために寝てしまったが、うるさい連中ではなかった。
夜中の3時。
テント内で目が覚める。
風の音がした。
沢の水の流れる音もする。
音の正体がよく分からなかった。
登山が心配になった。
テントの外を見てみると時折月が顔を出す。
しかし風が気になった。
空がすっかり明るくなるのを待ってテント撤収を始めた。
夜が明けてみると風は大したことはなく、出発するときは既に6時を回っていた。
時間だけはいつも守れていない。
早朝、南蔵王登山口を目指して歩く。
気持ちがいい。
吉沼バス停を左折すると私有地の看板があり、躊躇する。
私有地につき入山者は罰金と書かれてある。
地図にある道なのでそのまま歩く。
実をいうと、マイナールートの場合こういうのは最近よくある。
登山をつまらなくする看板だ。
しかし登山口に同じ看板があったら中止を考えなければならない。
とりあえず登山口まで行ってみることにした。
他の登山客の車が通過した。
看板の意味が大体分かってきた。
山菜取りを禁止している看板と思われる。
この辺りは私有地であることは本当らしいが、道路を歩く分には咎めようがない。
そして登山口に到着した。
さっき通過した車がありグループが登る準備をしていた。
登山口の看板を確認する。
南蔵王登山コースであること、キャンプ場を廃止したこと、熊が出没することが書かれていた。
つまり入山禁止は何処吹く風だ。
南蔵王登山口は道が二つに分かれている。
うっかりすると間違う。
他の登山者の会話から情報がキャッチできなかったら間違うところだった。
登山口ではアンテナを張らないとダメだと思う。
初めは緩やかな道が続く。
全体的によく整備されたコースであり迷うところもなく、歩きやすさからすると過去最高峰の登山道だと思う。
この辺は急斜面だった。
地図を見ながら進むわけだが、そろそろ緩やかになる位置だなと、予測しながら歩く。
この辺で雨に降られた。
スパッツを取り外して合羽上下を着こんでザックカバーを取り付ける作業は重労働であった。
雨はすぐに止んだ。
岩が現われ始め随分上まで登ったことを知る。
突然背後に視界が開けて展望できる。
人は誰もいない。
あれが長老湖なのか。
休息を取った。
お菓子などを食べる。
半分はピクニックみたいなもので、半分は山登りで、全体的には交通機関の移動も含めて旅なのだ。
動物にも集団行動するタイプ、単独行動するタイプがいるように、人間にも習性がある。
エサを取る手段と関係しており脳の構造上どうにもならない。
不忘山を経由し、南蔵王縦走コースで苅田岳まで行き御釜を見る計画だった。
この辺はまだ風がないが、このあと風の通り道に差し掛かり歩くのがやっとだった。
下山時に二人の女子にあの山の名前を聞かれた。
知るわけないよ。
こんな感じで展望を楽しめる。
気楽に登りたい人にはお勧めである。
天候は心配だった。
この時点で苅田岳への縦走をやるかどうかを決断できていなかった。
とりあえず前をみて歩く。山頂はまだまだ先といったところ。
これが最後の写真となった。
背丈ぐらいの柱があり、カメラを載せてセルフで撮る。
風はあった。
なんでこんな写真を撮りたいと思ったかというと、そこに柱があったから。
カメラをとりに行く途中でカラカラと軽はずみな音を立てながら岩肌を転がるカメラ。
嗚呼、ヤッテシマッタ。
って思った。
電源を切ってもレンズが元に戻らない。電源は入るがオートフォーカスが合わずピンボケ画像しか撮れなくなっていた。--これで新しいカメラが買えるよ--
2009年10月11日 10時20分 不忘山 登頂
風がビュービュー吹いていた。
縦走路に向う人はいたが、それに続いていく気には到底なれない。
風だけではなく、時間的にも押していたのでわたしは止める決断をした。
また来ればいい。
風のない日に。
この山はもっと楽しむ山でなくてはならない。
(完)
それは誰だろう?
明日向こうからやってくる彼に出会うかもしれない。
3メートルほどの距離に近づいたら彼は尻尾を振り始めるだろう。
犬は愛情以外の何物も与えることなしに生活を成り立たせている唯一の動物である。
ディール・カーネギー >
不忘山の山頂は風が吹いていた。
山というのは風の通り道があるようだ。
わたしはちょうどそんな場所を歩いていた。
合羽のフードを頭にかぶり、帽子を飛ばされないように終始気を払わねばならなかった。
道のりはやや長いと感じた。
風がそう思わせたのだ。
やっとの思いで不忘の碑に差し掛かったのはまだ記憶に新しい。
わたしはやがて風に吹かれながら山頂に佇立していた。
このまま縦走を続けても面白くも何ともないだろう。
それが縦走を中断した理由であった。
あの日は山頂だけ風が強かったのだ。
不忘山~南蔵王縦走の旅
旅というものは面白い。
旅の記録を残すために画面に向き合っているわけだが、過ぎ去った過去の出来事を回想したところで何の役にも立たないのはこれまでの経験でも明らかだ。
未来と現在進行形に立脚してこそ面白いのだと思う。
2009年10月の中旬にわたしはその年最後の旅計画を実行した。
あの日、予期せぬ事態が待ち受けており、わたしはそれを受けてやった。
新幹線が遅れていたのである。
点検のため発車を遅らせたという趣旨のアナウンスが流れた。
こういう時に点検するなと、わたしはひとりごちた。
福島駅の新幹線ホームで20分以上も待ちわびる羽目になった。
あの日は交通機関の時間を調整するために珍しく新幹線を使った。
ただし福島~白石蔵王の僅かな区間だけである。
この区間を新幹線にすると乗り継ぎのバスがうまい具合に繋がる仕掛けになっていた。
列車時刻に遅れが生じて登山計画の全てが崩れ落ちたかに見えた。
しかし、偶然は準備しているものだけに訪れる。パスツールだってそう言っている。
白石蔵王駅からはミヤコーバスへの乗り継ぎ時間が30分ぐらいあったのでギリギリ間に合った。
わたしは運がいい。
ミヤコーバスは白石市内を走った。
小雨が降っていたのでわたしは半ば失望していた。
なんとか止まないもんかと、窓を見ていた。
バスは峠に差し掛かったころ奇跡的に日が差してきた。
やがて雨は止み、アスファルトが銀色に輝いていた。
いい感じの旅だ。
バスの中では本を読みたくても目が疲れるので車窓を見て楽しむ。
七ヶ宿という地名を通過し、わたしはそこでダムを見た。
バスのアナウンスは「ナナガシュク」と告げていた。
「シチガヤド」と読むとばかり思っていたが、現地を訪れて初めて分かることだ。
ミヤコーバスは終点の開発センターに到着した。
開発センターという福祉施設がバスの接続場所になっている。
ミヤコーバスと村営バスがほとんど同時に合流し、さらなる秘境へ行く物好きな乗客は村営バスに乗り込むことになる。
わたしが佇んでいると、村営バスから運転手のオバサンが降りてきて挨拶しにくる。
乗客はわたし一人だった。
どう見ても40は超えている風采であったのでここではオバサンと書くことにする。--オバチャンという感じでもない--
だいたい村営バスというのは税金で運営されており、採算が取れずに廃線か継続かを悩んでいるものだが、登山するものにとっては大変ありがたい存在だ。
そういう光と影があるのは仕方ないことなのだが、わたしは通りすがりの旅人という設定なので、光の部分を大いに楽しまなければならない。
この村営バスの運行がなければ南蔵王からの登山計画を立てることはできなかったし、村営バスに乗るのは旅の一部に君臨するのである。
わたしは村営バスのシートにうずくまり青少年旅行村のキャンプ場に予約の電話を入れた。
テントなら問題ないという答えが帰って来た。
テント泊とはいえ、やはり事前に電話するものらしい。
テントならいつでもOKだろうと鷹を括っていたが場合によってはそうでもない。
携帯の電源を切るのを確認してから運転手はエンジンをかけた。
運転手のオバサンはサービス精神旺盛であった。
運転と観光ガイドをほとんど同時にこなすのは見事であったが、採算が厳しい状況は言葉の節にはっきりと滲み出ていた。
運転手の話は続く。
不忘山はここから見るのが一番美しいという話。
不忘山の中腹にB29が墜落した話。
子供のころB29を目撃したという老人が現在も生きているという話。
不忘の碑に毎日お弁当を持って登ったおばあさんの話。
運転手は地元人間だが一度も登ったことがないという話。
旅行村と書いて、リョコウソンと読む。
あの運転手のオバサンがそう言ってたので、間違い、ない。
わたしはてっきりリョコウムラと読むのだとばかり思っていた。
現地に来なければ分からない。
村営バスは南蔵王青少年リョコウソンにわたしを降ろし、乗車賃200円を支払った。
蔵王に登るために何度も調査した場所だ。
わたしが知っていることは二つだけ。
テントが張れること、バス停があること。
したがって、こうやって初めて現地に降り立つとそれなりの感動は、ある。
わたしはしばらく動けなくなった。
建物に入っていくと中から声が飛んできた。
「さっきの方ですか?」
「はい」
「バス停でかけました?」
「はい」
出された用紙に記入してテント泊の予約を成立させた。(成立というほどのものではないが)
係りの人は親切に説明をしてくれた。
芝生がさっきの雨で濡れていたので、テントを張るときに少し躊躇した。
バス運転手の話ではさっきの雨は土砂降りだったと言っていたが、白石市内は小降りだった。
バンガロー小屋の中を見た。
「払って二千だな」
わたしはひとりごちた。
下見をする。
飲み水が出る炊事場は優れたキャンプ場の証である。
ちなみに、巻機山麓キャンプ場の炊事場は砂やゴミが混ざる。
午後3時で気温はやや肌寒い。
ベンチに座ってインスタント蕎麦を茹でながら黒糖パンを貪り食う。
松本清張の「事故」という小説を読む。
旅用に買い置きしていたヤツだ。
文体がしっかりしているという理由で読みたくなった本だが、今は時間がないのですっかり放置状態だ。
またいつか旅の日が来れば開くだろう。
時間はたっぷりあった。
本来なら長老湖に行くべきであった。
歩くには距離があるのと、間もなく夕方になるのと、少し肌寒いのが何となく行動を消極的にしていた。
夕方になるとバイクツーリングのグループがやってきて、ログハウスになにやら道具を運び出している。
わたしは翌朝の山に備えるために寝てしまったが、うるさい連中ではなかった。
夜中の3時。
テント内で目が覚める。
風の音がした。
沢の水の流れる音もする。
音の正体がよく分からなかった。
登山が心配になった。
テントの外を見てみると時折月が顔を出す。
しかし風が気になった。
空がすっかり明るくなるのを待ってテント撤収を始めた。
夜が明けてみると風は大したことはなく、出発するときは既に6時を回っていた。
時間だけはいつも守れていない。
早朝、南蔵王登山口を目指して歩く。
気持ちがいい。
吉沼バス停を左折すると私有地の看板があり、躊躇する。
私有地につき入山者は罰金と書かれてある。
地図にある道なのでそのまま歩く。
実をいうと、マイナールートの場合こういうのは最近よくある。
登山をつまらなくする看板だ。
しかし登山口に同じ看板があったら中止を考えなければならない。
とりあえず登山口まで行ってみることにした。
他の登山客の車が通過した。
看板の意味が大体分かってきた。
山菜取りを禁止している看板と思われる。
この辺りは私有地であることは本当らしいが、道路を歩く分には咎めようがない。
そして登山口に到着した。
さっき通過した車がありグループが登る準備をしていた。
登山口の看板を確認する。
南蔵王登山コースであること、キャンプ場を廃止したこと、熊が出没することが書かれていた。
つまり入山禁止は何処吹く風だ。
南蔵王登山口は道が二つに分かれている。
うっかりすると間違う。
他の登山者の会話から情報がキャッチできなかったら間違うところだった。
登山口ではアンテナを張らないとダメだと思う。
初めは緩やかな道が続く。
全体的によく整備されたコースであり迷うところもなく、歩きやすさからすると過去最高峰の登山道だと思う。
この辺は急斜面だった。
地図を見ながら進むわけだが、そろそろ緩やかになる位置だなと、予測しながら歩く。
この辺で雨に降られた。
スパッツを取り外して合羽上下を着こんでザックカバーを取り付ける作業は重労働であった。
雨はすぐに止んだ。
岩が現われ始め随分上まで登ったことを知る。
突然背後に視界が開けて展望できる。
人は誰もいない。
あれが長老湖なのか。
休息を取った。
お菓子などを食べる。
半分はピクニックみたいなもので、半分は山登りで、全体的には交通機関の移動も含めて旅なのだ。
動物にも集団行動するタイプ、単独行動するタイプがいるように、人間にも習性がある。
エサを取る手段と関係しており脳の構造上どうにもならない。
不忘山を経由し、南蔵王縦走コースで苅田岳まで行き御釜を見る計画だった。
この辺はまだ風がないが、このあと風の通り道に差し掛かり歩くのがやっとだった。
下山時に二人の女子にあの山の名前を聞かれた。
知るわけないよ。
こんな感じで展望を楽しめる。
気楽に登りたい人にはお勧めである。
天候は心配だった。
この時点で苅田岳への縦走をやるかどうかを決断できていなかった。
とりあえず前をみて歩く。山頂はまだまだ先といったところ。
これが最後の写真となった。
背丈ぐらいの柱があり、カメラを載せてセルフで撮る。
風はあった。
なんでこんな写真を撮りたいと思ったかというと、そこに柱があったから。
カメラをとりに行く途中でカラカラと軽はずみな音を立てながら岩肌を転がるカメラ。
嗚呼、ヤッテシマッタ。
って思った。
電源を切ってもレンズが元に戻らない。電源は入るがオートフォーカスが合わずピンボケ画像しか撮れなくなっていた。--これで新しいカメラが買えるよ--
2009年10月11日 10時20分 不忘山 登頂
風がビュービュー吹いていた。
縦走路に向う人はいたが、それに続いていく気には到底なれない。
風だけではなく、時間的にも押していたのでわたしは止める決断をした。
また来ればいい。
風のない日に。
この山はもっと楽しむ山でなくてはならない。
(完)