古祖母山→障子岳→祖母山

5月2日 7:30 古祖母山前

上空で豪快に轟く風の唄をテントの中で聞きながら考え事をしていた。


祖母山に向うか、尾平へ下山するか、である。

後者を取れば縦走は失敗という結果に終わる。

風の状況によってはその選択は取らなければならなかった。


朝になってやや風が出てきたのだ。

わたしは少し消極的になっていた。

昨夜の気温は良く分からない。

テント内でシュラフにもぐっていては外気温などは蚊帳の外だった。

シュラフ内の腕時計は34度であった。つまり普通。

--後で他の登山者から聞いたら地上でも氷点下だったそうだが、到底信じられない--

外に出てみると霞が掛かって太陽がおぼろげに光っている。


朝なので確かに寒かったが、朝が寒いのは地上でも同じである。

風があり、上空の轟き音はわたしを消極的にさせた。

わたしは一旦下山の決断を下しかけたのは、間違いなくこの轟き音のせいである。

そして古祖母山を越えた先に広がる荒々しい岩場に尋常でない風が吹きすさぶ地獄絵が頭から離れない。

唯一の防寒具である薄いダウンジャケットを着こんでその上に合羽の上を着た。

ダウンジャケットは圧縮すると掌サイズまで小さくなり、ザックの軽量化に大きく君臨している。

風避けのために合羽の下も履いた。



時刻が7時を回るのでテントを撤収する。

この時点で下山が頭を過ぎる。

思いな直してわたしは目の前の古祖母山に向った。

どんな天候になっても古祖母山ぐらいは登ろうと決めていた。




5月2日 8:00 古祖母山

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古祖母山 登頂。

その名が象徴するように、どこか懐かしい印象を恍惚と放っていた。

この時間にここを訪れる者はいない。



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とりあえず展望を楽しむ。




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気温が上がってきて風の轟き音が収まりつつある。



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下山はなくなった。

これより障子岳へ登山を開始する。

むしろ登山日和になりつつあった。

強風になったとしても笹の壁が守ってくれる格好だ。




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想像としていた風景とまるで違う。

来て見ない分からない。

昨日テントを張った場所をわたしは悔やんだ。




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水場があったので汲みに行った。

水量はすくないがゴミが入らない良好の水だった。

ここでダウンジャケットを脱いで合羽の下も脱いだ。




5月2日 9:50 障子岳

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日差しが強くなってきたにでサングラスの世話になった。

風邪用のマスクをしていたが外した。それだけ天気が良い。

--この時点で少し風邪気味だった。午後になって本格的に体調を崩してしまう--




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気温が上昇し、上空の轟き音はやんだ。







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あの頂まで登る。

登頂意欲を掻き立てる。





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祖母山へ続く縦走路を眺める。

関東の片隅から遥々九州の大陸まで山登りのためだけにやってくると、人は訝しげに首をかしげる。

今の自分には、目標を設定して達成する生き方しかないのである。

なんの目標も与えられず適当に歩んできた人間の宿命かもしれない。




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障子岳 登頂。

親父岳からゾクゾクと人が登ってくるので話をした。

傾山から歩いてきて今日が三日目だというと、びっくりしていた。

ザックを持たしてくれといわれた。ザックを重さが気になるようだ。

軽量化にいそしんでいるので縦走にしては軽いほうだと思う。

どら焼きを食べる。

少しずつザックからお菓子が消えていく。

あとはソウセイジと羊羹、ソイジョイぐらいしかお菓子はない。





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ひときわ目立っていた。

烏帽子岩なのか天狗岩なのか分からず写真を撮ってきたが、後で調べて烏帽子岩だと知る。





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小高い岩に登り休憩する。

ここが烏帽子岩だと思い込んでいた。





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間違って登った天狗岩。

間違いでもないだろうが、祖母山へ向う道が険しくて降りられなかったので引き返して安全牌を選んだ。





5月2日 13:20 祖母山

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いよいよ祖母山へ行く。

ここからが最も過酷であった。

足の疲労が襲ってきて歩幅もスローペースなった。

ここからは休みながら少しずつ歩く。

普段運動をしない時間のないサラリーマンが突然に登山をやっても足が順応しない。

飲酒をしないので体力はある方だが、体力と足の疲労は別ものだ。

登山を始めて一年目の頃は強い足だった。

あのころは毎週ジョギングをしていたので足回り良かった。

その後ジョギングをやめてしまったので足回りが衰え始めた。

2年目、3年目と登山を続けるうちにはっきりと自覚があった。


テーピングは持っているが、巻き方の知識がないので使えない。

家に帰ったら真っ先にテーピングのお勉強をしたいと思っていた。






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登山道脇にテント場のスペースが2つあった。

わたしみたいに途中でノックダウンする人用にあるのだろう。





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気持ちのよい道だが、体が疲労して気持ち悪い。




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祖母山のクライマックス、岩峰のよじ登りが出現。

しばしやる気を失って座り込んだ。

小学生が降りてきて目の前を通過して行くのを見届けて最後の力を奮い立たせた。


ハシゴを慎重に登る。

足が疲労しているので思うようには動かない。

途中で明らかに不可能な鎖場が現われる。鎖がないので登るのが危険だった。

途方に暮れていると横に迂回路を発見し回避する。




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ハードなコースだった。

というのが祖母山の感想である。

尾平→宮原→祖母山のルートで登った場合は全く違う感想になる。

最後のハシゴ+鎖の岩峰は疲れた体にトドメを刺す。





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年配のグループが缶ビールで乾杯して騒いでいるのを横で見ていた。

リーダー的な人が飲めない人用にノンアルコールビールまで用意してきたという。

この缶ビールを見てグループの人達は感動して笑い声が巻き起こった。わたしもつられて笑った。

わたしにはこういうグループ行動的な協力とか地域協調性が欠けている孤独な狼なのでこういうのを見ると弱い。


わたしは祖母山で一人で泣いた。

ザックからソウセイジと羊羹を出して食べる。

何れもビニール系の食料だが、以外に便利であることが分かった。





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9合目小屋まで降りてテント場の空き状況を聞きに行った。

早い者勝ち制のため空いていればテントを張ってもいいという情報をキャッチしてテントを張りに行った。

午後2時前なのでスペースはあった。夕方になるとだいたい満杯になる感じである。

ここで本格的に頭痛が酷くなり鼻水の処理が厄介になってきた。

やることは結構あった。テント設営、水汲み、ラーメン。

早く横になりたい一心でテントを張り、水を汲みに行った。かなりスローペースであった。

ようやく水場の近くでの飯なので待望のラーメンをやった。

2食分のインスタント塩ラーメンを鍋で煮る。

それぐらいラーメンをやりたかった。

風邪の症状を回復させるには暖かいものをたくさん食べることが必要と考えた。

水もいっぱい飲んだ。

ビタミンクエン酸の飴をなめて水を飲む。

貴重なティッシュを使って鼻をかんだ。

あとは尾平へ下山すれば縦走が完了である。

ここで風邪を惹いている場合ではない。

直す自信はあった。下着を取り替えシュラフにもぐりテント内でしっかりと風邪を治す体勢になったのは15時を回っていた。






それから目が覚めたのは2時間後であった。

外はまだ明るい夕方であった。

テント場が狭いのでテントが近い。それゆえに会話がしやすい環境にあった。

山が好きでしょうがない人達の集まりである。話は山の話ばかりする。

テントの中でそういう話に耳を傾けていた。

わたしは風邪の体なので輪の中に入るのは困難であり、水を大量に飲み、ビタミンクエン酸の飴を口に入れるだけであった。

三人集まって酒を酌み交わしているらしい。

祖母山は八ヶ岳と山の構造がそっくりだと言っていた。標高こそ違うが地図を重ねるとピッタリ合うという。

一人は傾山に縦走するようである。

完全に山中毒にかかっている風采であった。

断酒をして何年にもなるが、山でテントを張っているときだけは酒を飲みたいと思うときがある。

中毒による飲酒欲求からではなく、テント内の密かな楽しみとして酒をやったらどんなに楽しいだろうと思う。

というのも、テント内ではやることがなさすぎるからである。

今回の縦走でも合計5日間のテント生活を営んだ次第であるが、何れもテント内ではシュラフにもぐって寝転がっていただけだった。


一度は下山をしそうになったが、なんとか縦走を成し遂げようとしていた。

充実感は心の片隅にあったのだが、楽しくはない。なぜだろう。

答えはこうだ。

極度の緊張感の連続で気を緩めることが出来ず、普段の仕事以上に気を使うからである。

去年の旅もそんな感じだった。






山頂に朝が来た。

昨日と同じ、上空では暴風が轟いていたが、標高1、700mでは穏やかな方だった。

山頂とはそういう場所なのだと、無知なわたしに教えていた。


(続く)


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