八ヶ岳縦走の旅

<プロローグ>
人間の頭の中に記憶メモリー装置があるなんて、この歳になって初めて知った。

仕事量なんてカメラやケイタイと同じようなものである。

時間×メモリー容量でパフォーマンスが決まる。

とりわけメモリー容量に関しては個人差がはっきりしていて嫌になった。

親の言うことを聞いたか、とか、学校の勉強をやったか、とか、大学受験の難関を乗り越えたか、という蓄積が本人のメモリー容量を形成していくわけだが、わたしの場合、親の言うことを聞かなかったし勉強も中三で放り投げたので、メモリー容量が極めて小さいことが最近になってようやく分かってきた。





週休二日間の休日を有効に過ごすためには、メモリー容量の約30%は空白でなければならない。

わたしはこの禁断の30%の領域に仕事情報を書き込んだ。目標を達成するために。

つまり休日も家で仕事をしていた。

こんな馬鹿げた無謀なことを続けた結果、休日は寝て過ごすようになっていた。

頭の中のメモリー領域をバランスよく使うことを怠ったのだ。

メモリー消去するためにわたしは一人で山に行った。

夏休みとはそういうものだ。















八ヶ岳縦走の旅


2010年7月26日~7月29日




<一日目>
佐久平駅~中込駅~ホテル

<二日目>
中込駅~小海駅~稲子湯温泉~本沢温泉~キャンプ場

<三日目>
本沢温泉~夏沢峠~硫黄岳~横岳~赤岳~中岳~中岳のコル~業者小屋キャンプ場

<四日目>
業者小屋~南沢コース~美濃戸~美濃戸口~茅野駅~佐久平駅




7月26日 夕方


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信州である。本当に、よく来たと思う。

連休に入ってから、出発直前に計画が乱れて混乱していたのだが、一日ずらして何とかまとまった。

テント泊する場所がなくてビジネスホテルで一泊する最終手段を選択した。

そのホテルがある適当な場所がここ、中込駅という訳である。


それでもホテルを選んだ理由はある。

安いホテルでも最上階に展望風呂があるのに負けた格好だ。

でものんびり出来たのでよかったと思う。









7月27日 朝

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翌早朝、中込駅前のホテルを出て小海駅へ移動した。

小海駅は稲子温泉行きのバスが出るのである。

こういう細かい接続は事前の計画なしでは不可能だ。









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終点の稲子温泉に到着する。

ひっそりとした温泉小屋がそこにはあった。

バスを降りるとすぐにオッチャンが話しかけてきた。

下山してバスで帰るところらしい。









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地図とコンパスで方角を確認して登山口に入る。

樹林の中なので涼しい。









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真夏の登山というとジメジメした蒸し暑さを想像してしまう。

爽やかで涼しくて沢水が流れててワクワクするような登山がしたいものである。

この本沢温泉コースはまさにそんな感じのコースであった。

もしも、業者小屋からのコースで登っていたら詰まんないことになっていたと思う。









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トロッコのレール跡が残るノスタルジックな登山道。(ガイドブック解説風)








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みどり池と小屋が見えてきた。

小屋の人が木を割っていた。

このまま真っ直ぐ行けばいいものを方向を探る。

別の道に入ってまた戻ってきて時間をロスする。

みどり池に案内板があった。










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ガイドブックでよく見る風景だ。

池はあまり綺麗ではない。








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楽な道をしばらく歩いて一度下る。

本沢温泉が近い。

すれ違う人もなく、ひっそりとしていた。







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テント場をそのまま通過して本沢温泉まで辿り着いた。テント場を予約するためである。

水がうまい。

テーブルにクッカーを広げてラーメンを作った。

管理人とバイトの人が二人忙しそうに中で働いていた。

目があったので声が降ってきた。

降りてきたところを見計らってテントの予約を済ませた。

登山の途中で温泉に入れることは滅多にない。

本沢温泉コースの楽しみの一つであった。

内湯800を払い当然温泉にも入る段取りが整った。

木の長いすにシートがかけられていたので、そこに座っていたら、玄関マットを乾しているところだという。

わたしはてっきり座るためのシートだとばかり思っていた。


テント場に戻りテントをしつらえてから再び本沢温泉に行く。テント場と温泉小屋は5分ぐらいである。

小屋に入り登山靴を脱ぎ、内湯へ案内してもらった。

内湯には誰もいなかった。

静まり返っている。

湯船は広いが木のフタがしてある。

畳み一畳分の広さでフタが空いていたのでそこに体を沈める。



褐色の硫黄臭がする天然温泉に浸かる。カネを払ってもいい温度だ。

幸せな気分になる。

こういうことはたまにやらないとダメだと思う。

ゆっくりと時間が過ぎていく。








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標高が2,000mを超えるので夏とは思えない。

夕方になるとシャツ1枚では過ごせなくなる。

時間を持て余していた。

平な石を見つけて腰を掛けて小説を読む。

松本清張の「事故」だったか、湊かなえの「告白」だったかは思い出せない。

確か黒い本だったので前者の方だと思う。


夏になるといつも「避暑」という言葉が気になる。

標高が高い高原に行ったところで避暑になるのかと、疑問に思う。

わたしはいままで避暑の経験がなかった。

この際、避暑とはどういうものかをたっぷりと味わっておきたいと思っていた。

しかし、標高が高すぎた。

避暑どころか夜は寒さに耐えなければならなかった。

夏なので羽毛のシュラフは持ってこなかった。

軽量化も兼ねて夏用のライナーという品を始めて試そうと思って持ってきたのだが、ほとんど網をかぶっているのに等しく、夜中に起きてズボンを履いたり靴下を履いたりした。シュラフ一つ抜いたところでザックが軽くなる訳でもないので夏でもシュラフは必要である。








7月28日 早朝

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寒さに耐えて夜を越した。

早朝、本沢温泉テント場を後にした。

ズボンではなく、登山用タイツを履いて半ズボンを履く。

朝は寒かったがタイツだと以外に寒くない。

女性が冬でもタイツを履いてスカートを履く気持ちが分かった。

以外に寒くはないのである。


夏沢峠まで急な斜面をジグザグに登っていく。

全体を通しても疲れは殆どなくて楽しい山登りだった。

強くなったんだ。


うんざりしてきた頃に木の建物が上に現われる。

ヒュッテ夏沢のある夏沢峠に着いたこと告げていた。

一応、ザックには水が満タンだが、取り出すのが面倒なので水飲み場を探す。

宿泊客に聞くと水飲み場は中にしかないというので、諦めてザックの水を飲む。

宿泊客が中で朝食を食べている風景が外から見えるが、あまり楽しいものではない。

さっさと先を急ぐ。

いよいよ硫黄岳に向う。












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硫黄の崖を間違って3mほど登った。

鉄の細いポールが突き刺さっていたが、ロープがなかったのでそれが登山道だとは思わなかった。








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硫黄岳は風が強く吹いていた。

仕方なく合羽の上を着る。

各コースの合流になっているので人が集まっていた。









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硫黄岳へ続く道はかっこいい。

谷川岳のときもこれに近い気持ちになった。








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こういう写真が好き。










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上が合羽、下が登山用タイツというのは妙な格好だと思う。








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地図を見て登山計画を立てているとき、その距離がつかめなかったが、ここに立ったときスケールの小ささに安心した。

GWに登った祖母山の場合、地形は八ヶ岳とそっくりだがスケールが大きいので続けるのが躊躇われるほどであった。






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広い山頂は面白い。

満員電車のように人が記念撮影している狭い山頂はガッカリする。









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雲海を見るのが好きだ。

雲海を見にきたわけではないが、突然に雲の上に立ったような爽快な気分になる。









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赤岳の凛とした姿が八ヶ岳の象徴のようにそびえている。

赤岳を見ながら、ときおり富士山を見ながら進んでいくこのコースはやはり正解だった。









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風景を楽しんだ。

これが終わるとまた激務に引き戻される。










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この2年間、無謀な働き方を自分で選んだ。

自分で追い込んで自己解決しようとしているだけだった。

端的に、自分の内なる力を誇示したいだけ。








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バランスを取ることが最終的には人間社会にいい結果をもたらす。

それを怠った場合はただの一人も得する人はいない。ただの一人もだ。










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女医は視線を机の上に向けたまま言った。

「それを分かってない人が多すぎるのよ」











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わたしはこの夏になってから、休日を寝て過ごすことがあった。

頭の記憶メモリーに空白なくなった状態だ。

こうなると情報インプットが不可能になる。

小説を読むことも許されない。










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とうとう来たな、とわたしは思った。

鬱病の初期症状だ。










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「あっ、それ違う」


女医は続けた。


「それただの仕事のしすぎ」


女医は鬱病はきっぱりと否定した。








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そのときから鬱病状態から開放された。

女医は全部知っていたのだろう。

言葉だけで直せることを。










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八ヶ岳は比較的安全なコースであった。

しかし崖から転落する人もいる。

前方の登山グループからざわめき声が聞こえてきたのはこの辺だった。

その声はただならぬ事態であることを告げていた。


まず状況を把握しなければならない。

急ぎ足で進む。

ハシゴを降りる際に突風が来たらしい。

一人がハシゴから手を離して転げ落ちていったという。

もう一人の仲間がそれを見て声を挙げたという次第。

崖は茂みで覆われているので途中で止まっている。

仲間の一人が崖を降りて助けに行く。

しかし、その動きはのろい。

さっき横岳で会った八ヶ岳を知り尽くしたっ感じの若い男が後から救助隊、あるいはリスのように駆け下りていく。

ハシゴは使わずに岩肌をヒョイ、ヒュー、シュパって降りて転落した崖をスタスタ、ザザザーと降りてった。

転落した登山者のかかとを後から手で押し上げながらサポートして崖を登り返してくる。

わたしはただ見守っているだけだったが、あっという間の出来事だった。

見事としかいいようがない。

転落者は無事救出された。瞼の上を強打している。

わたしは何も出来ない自分が嫌になったので、ザックを降ろして新しいガーゼを袋ごと渡した。











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きっとプロの救助隊の人だろう。

一般人があんな風にリスみたいに駆け下りていけるなんてありえない。


(続く)



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