夏旅2011 両神山

誰も居ない山小屋は夏のちょっとした贅沢だった。
緊張が次第にほぐれていき、やがて眠りの淵に落ちていった。






















「夏旅2011 両神山」


2011年7月26日~7月27日


















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その年の夏のはじめ、わたしは三峰口駅のホームに降り立った。

2年前に雲取山で訪れていたので今回で二度目となる。

あのときの強烈な印象がまだ残っていた。

わたしは真っ先にこの風景をシャッターで切り取った。








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三峰駅前は華やいでいた。

しばらくすると人影がないことに気付く。

まるで映画に出てくるような建物だけがそこにはあった。

実際には、辺りをきょろきょろ見回すと人影の動きが見え隠れしている。駅員、掃除係、店の人。


人を迎えうけるような優しさがこもっていた。

これは2年前にはなかった光景だった。



屋根がかかった日陰の下は広めのベンチがあり、しばらく休んだ。

水道があるのは珍しいが乗客のほとんどが登山客であるのをうかがわせる。





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数件の食堂が軒を並べていて飽きない風情を作り出していた。

そんななにもかもが、押し付けではなく迎えうける体制でしつらえてあり、居心地がいい。


時間が止まったような空間に小鹿野町営バスが滑り込んできたので、わたしは乗り込んだ。









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バスは途中で両神庁舎で乗り換えとなる。

そこで待ちぼうけとなるがそれも旅の一種であると思っている。

近くの学校で野球部の練習の音が聞こえてくる。

何かの配達をしているお姉さんと目があったので挨拶をする。


両神山登山口のある日向大谷口へ向うバスの中でわたしはうずくまっていた。

すれ違いが不可能な細い道路を、絶対に対向車が来ない強い自信でバスは登っていった。

こういう光景は見ていてハラハラするが、何度体験しても慣れないものだ。



バスを降りてベンチがあったので座った。履いているものを脱いで登山用タイツに履き替えた。

バスの運転手が「今日は泊まりかい」と声をかけてくる。

イエスと答えた。







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山荘と登山口が合体しているようなその場所をすり抜けて、その年最初の山登りが始まった。

わたしは大いに喜んだ。







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Love Psychedelicoの歌を聞いていると「イメージは~」という歌詞がよく出てくる。

両神山のイメージは男体山のような古風な登山道であったが、実際には少し違い、水平な道が多い。

男体山は水平な道が、ない。







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Love Psychedelicoの歌詞で最も多いフレーズは「君が~」だと思う。







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登山なのに下りがあるのは、沢に下りるからである。

したがって、沢を越えると登り返しが待っている。







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沢伝いに登っていくので全体的には涼しい感じの山登りが楽しめるが、このときは無駄の情報が頭に残っていたせいであまり面白くなかった。








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八ヶ岳の本沢登山口から登ったときは涼しい風情があった。

なんでこうも違いが出るのだろう。







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コースタイムは小屋まで2時間を予定していた。小屋まで行ったらテント場で一泊するつもりだったのでほとんど緊迫のかけらもなかった。







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この辺になると山登りの楽しさが滲み出てくる。陰鬱なジメジメした印象がなくなっていく。

イメージは苗場山の和山登山コースを真っ先に思い浮かべてしまうが、あのコースを選ぶ人はあまりいない。








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数組のグループとすれ違った。

夏休みの学生、仕事のない中高年、電力がなくて休みの人、といったところだろう。

頭の中の情報を消すことが目的で山を登っている人はわたしぐらいのもので、この日は会話がうれしくなかった。



日向大谷からのメジャーコースであるが、平日なので誰とも会わないひっそりした登山を楽しめるだろうと思っていた。

すれ違うとしっかりと声をかけてきてくれて、登山の醍醐味である「知らない人との会話」に花を咲かせるチャンスであったが、あまりにもとっさのことでこちら側に余裕がなかった。









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登山口の標高は山頂の標高と同じぐらい確実に調べておくべきである。

この日わたしは登山口で高度計を500mに書き換えたことを悔やんだ。

事前情報では500mのはずだったが高度計は700mを指していた。

登っているときは高度計を何度も見るが清竜小屋のある標高までは200mもあった。

経過時間から換算して明らかに合わないのである。

しまいには高度計がただの玩具に変わる瞬間である。








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すれ違った登山者の人から「もうすぐ弘法の井戸がありますよ」と教えて頂いた。

その井戸は間もなくあった。

今回の旅が面白くない理由は、こういう事前情報がないためである。

やはり事前に調べて期待感を高めて状況を作り出しておいた方が旅を面白くすると思う。

弘法の井戸はおいしい水だった。







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弘法の井戸から清竜小屋までがやけに長く感じられた。

小屋には水場があるはずだったので弘法の井戸からは水を汲まなかった。

とにかく面倒くさかった。

冷静に落ち着いて考えれば持っている水道水を捨てて弘法の井戸から汲むのが正しかった。

実際に清流小屋の水はおいしく感じなかった。

そして家から持ってきた水道水を飲んでいる自分は変わり者の象徴であった。

やることがないのでスルメを齧ったりコーヒーを作って飲んだり、やかましいアブを退治するのに時間を費やした。






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小屋の隣のテント場にテントを張るつもりだったが、この日は管理人が不在で小屋泊に興味が沸いてきた。

テントを張ることさえも倦怠するモーメントだった。

小屋の中に入るとヒノキの匂いにすっかり気分を良くしてしまった。

いままで一度も山小屋に泊まったことがなかったので、機会があれば一度やってみたいと思っていた。




メンタルを落ち着かせるには最高の空間で、新しい発見だった。

誰も居ない山小屋は夏のちょっとした贅沢だった。

緊張が次第にほぐれていき、やがて眠りの淵に落ちていった。






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やることがないのでただじっとしていた。

夕方6時に寝て2時間後には目が覚めた。


それから眠れなくなってしまい考え事をしながら寝返りを打つ。

次に眠ったのが3時ぐらいだったと思う。

最後に目が覚めたのが5時40分を回っていた。



出遅れた。




小屋を出て外のテーブルでお湯を沸かしてアルファー米を二つ作った。

二つ作ったのはお湯の量が余ったからだった。







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アルファー米はザックにしまい、ソイジョイを一つかじって朝食を済ませ山頂を目指した。

早く起きなかったので予定が狂ってしまった。






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山登りを始めてたしか5年目のシーズンになる。

いままで20ぐらいの山を登り、たくさんの山頂を踏んできた。

山頂は独特の霊的な空気が漂い、多くの山頂を踏むことで得体の知れぬ自身がみなぎってくる。

自分には何でもできるという、ある種の錯覚のような麻痺状態が。






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酒を飲まないことに加えて、たくさんの山頂を踏んでいることが周囲の人よりもメンタルを強くしているのは幸か不幸か明らかであった。

そういう作られた状況が今のどうしようもない場末的な仕事をやる羽目になったのだ。







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今回の登山がいつもの登山と変わっている点は、目標を目指しているのではなく、成し遂げたあとの登山だからである。

つまり、自分が辿った道を回想しながら歩いている点がいつもと違う。







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休める場所では休んだ方がいいと言い聞かせてザックを置いた。

朝作っておいたアルファー米のちらし寿司を半分食べながら休息を兼ねた。








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ザックを背負いなおして歩き始めると背中の辺りにズキリと閃光が刺さった。

嫌な予感がした。

これは過去に経験がある。

それはスーパーで買物している最中に起きた。

過去の長年の飲酒のせいで首をゴリゴリ回さないと正常な状態を保てなくなっていた。

稀に、または不意に心臓付近を圧迫するときがある。

そんなときはその場で立ち止まってしばらく中腰で首をマッサージする。

こういう激痛はこれで二度目だった。







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自分で撮った写真を見ると下手だと思う。

プロの写真家の写真を見ると見事な違いが出る。

言い尽くされた言葉かもしれないが、写真には撮る人の心が映し出されるようである。

これは実際にカメラで撮るようになってから知ったことだ。


では、わたしの写真には何が写るのだろう。

それはただの「道」だった。

このブログを見ても分かるとおり、道ばかりを撮っている。

周囲の景色などはオマケで撮っているようなもので、人間の通り道に異様なほど感心があったのが写真で分かる。

人が通って踏み固まった道を目の前にすると、カネでは説明が付かない価値の本質に遭遇するのである。






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良い山頂とは、たいていの場合一人でじっと待ち受けているものだ。

霊的などうしようもない麻薬的雰囲気には少しかけるが、今回の両神山頂も確実に待っていた。

わたしは一人で参上してやった。





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山頂の一番高い所に立ってみる。

足もとがふらついているのは運動不足のせいとザックを降ろすのを忘れていたからだ。






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山頂目線がこんなにも無機質でごくありきたりの出来事のように感じるは初めてだった。

多分、年を取った分、無機質に感じるのだろう。





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山頂に突っ立ったまま遠くを見渡した。

曇り空で極上の景色ではなかったが、着て良かったと思った。






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そのとき考えたことは何もなく、かといって心を無にしてひたすらシャッターを切った訳でもない。








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ただ無機質に目に飛び込んでくる風景を受け入れた。







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思いついたことを一つだけ無理に挙げるとすれば、焼酎の「雲海」というネーミングは売り上げに素晴らしく貢献をしているということであった。


三角点に腰を下ろして休んでからわたしは下山を決心した。






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